細木数子さんの訃報からまだ間がありませんが、瀬戸内寂聴さんも旅立たれました。
女性としての武器も存分に発揮しての、波乱万丈の人生を思い通りに生きてこられたように見えます。
思い残すことは有りますか?と聞いてみたいですね。
ふと、昭和が消えていくと思いました。
男尊女卑の色濃い戦前戦後を、逞しく生き抜いて、毒を時には吐きながら世間に生きざまを知らしめたことは、多くの女性に勇気を与えたと思います。
私は、トラブル回避型で克つトラブル予知能力が少しあるので、波乱万丈の人生を生きることは有りません。
しかし、人生の選択肢が色々有るということを知った上での、普通の人生を生きていることと、この生き方しかないと思い込んで、昔ながらの女性としての人生を送ることは、同じ生き方でも多分、大分違うと思います。
昔ながらの生き方とは、自己犠牲を強いられる事に従順で有ることでしょうか?。
従順で有ることと、自ら選択してそうしていることは、違いがあると思います。
因みに高知県の女性は、殆どの人が専業主婦ではありません。
逞しく、陽気に、オシャレもして普通にお酒もよく飲みます。
家事、育児も夫をあまり頼りにはしません。
働き者です。
私も、夫に家事の分担を期待しません。
育児は自分が責任を持ち、夫を頼りにはしませんでした。
一人っ子の夫が、3人目の子供が欲しいと言った時に私は思いました。
何かあって、ひとりで子育てをすることを想像して、二人育てるも、三人育てるも一緒と考えて、三人目を授かることにしました。
その頃の私は、離婚をいつも頭の中に想定していました。
(子供三人連れて、何時でも出ていきます。)
そんな気持ちを心に抱いてましたね。
此処しか居場所がないと思うことと、別の居場所を探す気構えが有るということは、全然違うと思います。
幸せな結婚生活に見えても、孤独であり、闘いが有ります。
相手に理不尽な事を言わせない様に、時には身構えることも必要です。と、思います。
あっという間に49年という月日が経ってしまいました。
夫婦喧嘩は一度も有りません。
私が、夫の言い分を聞く振りをするので喧嘩はしません。
大事なことは自分で決めて、人の精にしない。
今は、お互いの健康を気遣いながらの生活です。