私に足りないものは、身の回りのおしゃれです。
外見に酷いコンプレックスを持っている私は、敢えて外見を取り繕う事を否定しています。
肌が敏感で、化粧品が合わないということもあって、60歳から化粧を止めました。
何故粧うのか?
美しいということを良とすることを肯定することは、私は不良なわけで、その時点で自分自身の存在を否定することになるので、私は装わないのです。
不細工でも、生きる権利は有るのです。
美しく生まれた人よりも、多少要らない苦労をする事はあると思いますが。
そんな私に、息子が買ってきてくれた本です。
不細工でもおしゃれをして、カワイイお婆さんになる様にとのことでしょうか?
勿論息子も、娘も、「全然そんなことないのに。」と、言ってくれますが、子供の頃の経験は強烈で、一億の人がそう言ったとしても、私には慰めてくれているだけで、自分が不細工であることは変わらないと思います。
自分が不細工であることを自覚せざるを得なかった事柄は、武勇伝の如く沢山有ります。
父の兄である叔父さん夫婦が、子供がいないので、姉を養女にしたいと言ったそうです。
母は「私ならあげる。」と言ったそうです。
兄夫婦は、私は要らないと言って養女の話は無しになったそうです。
しかし私が中学生になって、今度は兄夫婦が私を養女にしたいと言ってきたそうです。
母は断りました。断った理由は、母曰く最初の話の時、私ならあげると言った時、可愛くないから要らないと言ったくせに、大きくなって、頭が良いからと言って私をというのは虫がよすぎるとのことです。
母は、そっくりそのまま断った顛末を私に話しました。
そんな無神経な母のもとで育ちましたから、これでもかの繰返しで、私の頑固なコンプレックスは消えることは有りません。
私は、中学生の頃には、そんな話を笑いながら聞き流す、無神経な母を許す完全に大人だったと思います。
思えば、自分の意見や、考え、思うことを口にしたことはありません。
4人兄弟の次女という運命の人です。