一豊の妻、千代さんは、夫の立身出世に、内助の功を尽くした事で有名です。
一豊入城が1602年、死亡が、1605年11月1日とあり、一豊亡き後、半年後には土佐を去り仏門に入っています。
そのお寺には捨て子を拾って、可愛がっていた息子がいたそうです。
亡くなる時も、その息子に看取られたと言うことです。
土佐入城の際に起こった浦戸一揆にての、一豊の騙し討ちを「山内家も終わりだ」と嘆いたそうです。
なので、お千代さんは土佐にはなんの未練も愛着も無かったことが伺えます。
もしかして捨て子ではなく、実子で、息子の父親は、娘を亡くした時に心の支えになったお坊さんかもと思ったりします。
息子はそのお坊さんのお寺で育てられて、お千代さんも土佐を去ってその寺に入っています。
昔々のお話しですから、「だから何」って思います。
賢く、強く、戦国の世を鮮やかに生き抜いた人だと思います。